知識を持つことは
素晴らしいことだ
・・・
知識は
自らの世界を拡大させ
いながらにして
世界を
そして、過去も未来すら旅することも
決して不可能ではなくなるものである
現代社会においても
知識の有無で
少なからず人生が分かれ
決して大げさではなく
「生死を分ける」
とまで言い切れてしまうような状況すら
ありえてしまう
しかし
そんな現代の特徴と言えば
命を左右するほどの情報が
自宅の居間などで
パジャマ姿のままで
容易に手に入れることが可能になっていることだ
それは
インターネットと
様々な端末があれば
驚くほど簡単に
世界の叡智とつながり
それを自らのモノにすることができるのである
・・・
過去のように
大げさな箱に入ったパソコンなど不要で
手のひらサイズの
小さな画面を通して
10秒前には知らなかった
世界の果ての知識を
まるで10年前から知っているように
話したりできる
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
知らないことは
もう、恥ずかしいことではない…
そう
わずか10秒ほどで
知識の有無は変わってしまう時代である
その瞬間に知らずとも
少なくとも
数分後には
ありふれた知識のひとつになっていたりする
そして
論理的な思考や
機械的な思考は
AIなどで安定し、継続させ続けることができたりする
しかし
しかしだ
見てみよ
そもそもの問題文を刮目してみよ…
「漢字で」と書いてある…
それを
何の躊躇もなく英語…しかも、ローマ字である…
・・・
知らなかったんだろう…
ネットや、ニュースも見ていなかったのだろう…
そう、完全に知識的には不保持である…
しかし
彼はここでも
何の躊躇もなく固有名詞を書き残したのである…
ZOZO松本
これこそが
知識の有無はその人間の能力を確定させる決定的な要素になりえない
ことと
AIには不可能であろう非論理的な選択とその行動の実践
これらを見事に融合した
人間の未来を見事に提示した解答に他ならない
そう
これこそが
正解である
私自身の模範解答の精度の低さが
憎らしくなるほどの輝きである
(。-ω-)zzz. . . (。゚ω゚) ハッ!
運呼
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