国語

超昭和世代の「いすぽん」が

幼い頃から体験し続けた「国語」は

音読をすることと

本文内容を黒板になんとなく書くこと

学校のテストはワークとプリントを

「覚える」だけ

模擬試験や入試は…

自分の力で「頑張って」と…

本を読む、新聞を読む、問題を解く以外

何をどうすれば…国語力がつく?

専門家も「無理」と言い切り…

学生も「無理ゲー」と言い切る国語

解決方法はあるのか?

学校のテストは「暗記」で

模試と入試になった瞬間に

自分自身での「読解」になる


下線部の近くに答えがある…


こんな統計学的予測以外に何があるの?

昭和世代は学校でも塾でも

国語で「技術」なんて習ってない

って思ってたら平成でも同じだった

「ぇ?国語の答えに理由は必要ですか?」


新潟県でもTOPクラスの高校に通う

学生の言葉です

この言葉、この考えは

決して珍しいものではなく

新潟県に限定されるものでもなく

「理由はないけど、たぶん、これ」

で書けてしまい、また

それがそのまま評価されてしまう

数学では「途中式」がなければ

解答が正しくても「不正解」

しかし、国語では

途中の「根拠」が無くても

間違っていても

最終的に書いた答えが正しければ

「正解」

つまり

「テキトー」「なんとなく」答えても

「正解」

ということは

テストの点数=国語力

ではない場合が多くなる

全ての教科の土台の

「国語(日本語)」

それが

論理的ではないという事実は

それ以外の教科全体の問題の

根源になっている可能性が高い

知っているけど、どうしようもない

そもそもそれは無理だと諦める

学生も、講師も

「それは無理」だと言い切る分野に


「ぇ?方法あるよ!」


と…言い切りはじめる

いすぽん国語


ポイトン