人生にはずみが生じているとき
それを
自分自身では気が付かないことも
決して珍しくはない…
そんなとき
人は目の前のことに夢中になっているか
無心で何かを続けられているときだったりする
それこそ
究極の状態であり
悟りという言葉が当てはまったり
別の言い方では
「 ゾーン 」
という言葉で表現されたりもする
そんな時には
人智を超えることが起きたり
想像を絶する能力を
知らない間に発揮したりするのも
ひとつの大きな特徴である…
これは
私の最も好きなフットボール選手の
まさにゾーンの瞬間の映像である…
なぜ、これをゾーンと言えるのか…それは、本人の口から
「二度とはできない」
という言葉が出ているからである
つまり、再現が不可能ということだ
それこそがゾーンであり、自らの持ち得る能力の最大限の先が見え隠れする瞬間である
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
わざとではない
事故なのだろう…
そして、それは苦痛を伴うものでもあったのだろう…
顔に当たってしまった…
いや、それは同時に
顔にあった…顔という部位にバスケットボールがあった…
という意味の「あった(過去形)」
そう書いた瞬間にゾーンに入り…
記憶がまざまざと戻りだし…そこに痛みを生じさせるほど生生しく思い出され
「った(痛った)」
という表現が
まさに神の御業と言わんばかりのバランスで投入された…
これを
書き損じなどと判定することは
我々人類の文化の進化を否定し、妨げるものであろう
言葉は時代や世界に合わせて変化し、進化する
2018年においては「マジ卍」という感情表現とも、合言葉とも、知識を含まぬ共通認識限定用語とでも言うべき言葉が拡散した
これだけを見て、文化の進化や退廃を決定することはできない
しかし
「あったった」という表現の中には
存在と記憶が見事なバンラスで共存している…
私ごとき愚民が訂正して良い次元のものではない…
まさに
神々の領域である…畏れの対象であもある…
刮目してみよ…神々の暴走を…
さらに…だ…
この文を読み続けるほどの読者であれば
もはや気がついてしまっているだろう…
そう
これだ…
この可能性を決して排除してはならない…
もし、仮にだ
かの文を書いた方が…北斗の者であったのだとすれば…
それは
この世の終わりの始まりを意味してしまう…
もし、仮に
あの「あったった」が
隠しきれぬ北斗の雷(いかずち)であったとするならば…
いや…
これは考えすぎだろう…
いずれにしても、私が対処できる案件ではないことは確かだ…
【結論】あったった
① ゾーン( 存在+記憶、痛み )
② 北斗
( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
運呼
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