謙虚さは
人間関係を構築する上で
とても大切な要素である
もちろん
過度な謙虚さは嫌味となる
その裏には
人を蔑んでいる気配も漂っていたりするが
それは
相対する人が
沈黙の中で気がついているものであり
その結果を
もれなく受け止めることになっていく
程よい謙虚さ
言葉で言うのは簡単だが
実際それを日々の中で行うことは
決して簡単ではない…
そして
優しさと同様
あからさまなモノよりも
そうとは気がつかないものの方が
素晴らしいものだったりする
そう
究極の優しさとは
された本人が一切気がつかないものだったりする…
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
ダメなんだ…
これ
これを
短絡的に「誤字」と理解し
片付けてしまうこと…
それは思考の停止であり
教育の放棄であり
世界の破滅である…
・・・
もちろん知っている
いや、予測は可能である
そう
『 牛乳 』
牛の乳である
約6000年前のメソポタミアの壁画の時代から
6世紀の伝来
さまざな時代を経て
今、目の前に運ばれてきているものだが
それは
当たり前と言っていいほど
無自覚に摂取を続けている
近年、様々な議論が存在することも
以前よりも、多角的なデータが存在することも事実だろう
個人的には
大変好んで飲み続けて来たが
身体との相性は決して良好ではなかったようだ…
これは寂しくもある事実だった…
そう
そんな『 牛乳 』を「 午乳 」と書くこと
この違いを認識できなければならない
「 牛と午 」
そう、これは「 うし と うま 」である…
似て非なるものである…
ただ、縦線が飛び出しているか、いないかの違い…
これこそ
日本人が持っている謙虚さの結晶ではないか!
この数ミリの違いにこそ
我々日本人の真髄が秘されていることを
気がつけずになんとする…
しかも
「乳」を「にゅう」と
わざわざ平仮名で書いたところにも
大きな意味が隠されている
・・・
「にゅう」そう
もうお気づきだろう…
これは
NEWであり、「新しい」という意味である
これは
『 新たな視点を持つこと 』
を
燦然と示唆している
謙虚さと同居する探究心
これ以上の人間など
世界にどれだけ存在し得るのだろうか…
古(いにしえ)の民の思い
その復活の日は
目前である
( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
運呼
0コメント